アニメーション作家水尻 自子
1984年青森生まれ。女子美術大学デザイン学科卒業。手描きやコマ撮りアニメーションを中心に制作し、身体の一部をユニークな視点で捉えた独特のアニメーションを得意とする。2009年、TOKYO MX『レイナレイナ』でアニメ監督デビュー。
- 使用タブレット
- Cintiq 12WX
- 使用歴
- 数年
- きっかけ
脚や唇、尻など体の一部にフォーカスし、観る者にムズムズする感覚を与えるアニメーションを制作しているのが映像作家の水尻自子さん。自身の活動以外にも、タナカカツキさんと伊藤ガビンさんによるユニット「VJ QUIZ」に参加したほか、アニメ「レイナレイナ」(TOKYO MXテレビ)の監督も務めるなど活動の幅を広げています。「ビジョンを持ったことなんて一度もない」と語る脱力系の水尻さんですが、その時々の感覚を重視して人生の道を選び取っていく姿勢は、作品にも大きな影響を与えていると言えます。言葉にはできないけど、確かに何かは感じる――。そんな不思議なアニメーション作品を制作する水尻さんは、どんな人生を歩んできたのでしょうか?
テキスト・宮崎智之(プレスラボ)
撮影:CINRA編集部
トイレでひらめいた将来の道
青森県十和田市出身。もともと絵を描くことが得意で、漫画『あさりちゃん』(室山まゆみ著)のキャラクターを自分の家族に似せて模写することが大好きな小学生でした。
「でも、特別な才能があるわけではなく、『クラスの中では絵が上手』といった程度。当時は漫画家とかイラストレーターとかになりたいと漠然と思っていましたが、高校生くらいになると現実がわかってきて、すっかり諦めるようになっていました」
しかし、転機が訪れます。大学受験を考えるようになり、当初は経営学部や商学部に進学するため試験対策を進めていましたが、受験の半年前に急遽、美術系大学の受験を決意したのです。
そのきっかけは意外にも「トイレに入っている時、突然ひらめいた」というもの。「本当に勉強したいことは何か気がついたんです。と言っても、デッサンなんてほとんど勉強したことありませんでしたから、美術の先生に指導してもらいながら受験に備えました」
女子美術大学短期大学造形学科のデザインコースに入学し、上京してからは「自分のやりたい表現」を探す日々が続きます。しかし、短大の2年間はあっという間に過ぎ、いつの間にか卒業制作の時期に。その時点で自分の表現が見つけられていなかった水尻さんでしたが、同コースで教授を務めている編集者でゲームデザイナーの伊藤ガビンさんが「好きではないもののなかにこそ、自分と共通するものがある」と語っていたことを思い出し、以前から嫌いだった「水尻」という苗字に正面から向き合ってみることにしました。
なぜ嫌いなのか尋ねてみると、「発音しにくいし、なにより『尻』という単語が入っていることが許せなかった」とのこと。そんな自分のコンプレックスと向き合うべく、水尻さんは手書きで紙に尻のイラストを描き続けました。尻をひたすら描き続ける20歳の女性は世間では変わり者と見られてしまいますが、本人にとっては真剣そのもの。描いた枚数は数千にも及んだと言います。
「それらの作品を、どのようにひとつの作品にまとめようか悩んでいた時、伊藤ガビン先生から『映像にしてみたらどうか』とアドバイスを頂いたんです。それが今の作風を方向付けるきっかけになりました」 アニメーションを作るのは初めてだったため、まったくの独学からスタート。現在の作品にも共通する独特な動きはその時からの癖だといい、水尻作品には欠かせない表現のひとつになっています。
理解するのではなく、ムズムズする映像を
女子美術大学短期大学を卒業後は同大学の四年制に編入。それまで作品の方向性を決めかねていた水尻さんですが、創作活動の面白さに魅せられて没頭していきます。
四年制大での卒業制作では、ハイヒールを履いた女性の脚にフォーカスしたアニメーション作品「かっぽ」が美術館収蔵作品賞を受賞。大学を卒業してからは、伊藤ガビンさんのオフィスに出入りして仕事をもらったり、ギャラリーやWEB系の会社でバイトしたりしながら活動し、2007年には初の個展「水尻自子の『アニメは部屋で』展を開催しました。
多方面から才能を高く評価されている水尻さんですが、手書きの作画だけではなく、音楽もフリー素材を使って自身で編集していることが特徴として挙げられます。1本1本の線の太さにまでこだわりを持ち、アニメーションの動きを細部まで知り尽くしている水尻さんだからこそ、映像にマッチした効果的な音楽を制作することができるのでしょう。
2009年にはTOKYO MXテレビのアニメ『レイナレイナ』でアニメーション監督を務めることに。「これまでは作画や音楽制作まで自分1人でやっていたので、スタッフに指示しなければいけない難しさがありましたが、とても勉強になりました」と手応えを得ました。現在は母校の女子美術大学短期大学で助手をしながら『広島国際アニメーションフェスティバル』出品に向けて、新作を制作しています。
水尻さんの作品にたびたび見られる、体の一部分を強調した表現方法は、前述の通り自身が嫌いだった「水尻」という苗字と向き合うことから生まれたものですが、現在ではどのようなコンセプトのもと制作に取り組んでいるのでしょうか。
「こういうインタビューで、『私の作品のコンセプトはこうです』と言い切ることができればよいのですが、自分でも言語化できない部分があって…。ただ、唇だったり、脚だったり体の一部分に集中することによって、より密な動きが表現できるということは言えると思います。例えば脚だったら、脚ができる全ての動きを考え、その中から気にいったものをチョイスしていきます」
さらに、水尻さんはこう続けます。
「あえて作品にメッセージ性を持たせないことにより、『感覚』で共感できるように心掛けているつもりです。観ている方が『自分もこの動きをしたことがある』と感じ、体がムズムズするような映像を制作していきたいと思っています」
つまり、言い換えるのならば「理解」するのではなく、「体感」して感覚を分かち合うことができる映像だと言えるでしょう。頭で考えて理解した共感よりも、体で感じた共感の方がより強固なもののように思えます。
10年後の自分はどうなっている分からない
理解より、感覚や体感。言葉にできるものより、直感的な体の反応を重視する水尻さんの作品は、多くの人に「言葉にできないムズムズ感」を呼び起こし、アニメーションの新領域を切り開き続けています。
また、感覚を大切にしているのは、創作活動だけではありません。水尻さんの人生を振り返ってみると、トイレの中で自分の進路を決めたエピソードなど、節目節目で感覚による判断を大切にしていることが分かります。
「今までの人生でビジョンを持ったことなんてありません。タナカカツキさんと伊藤ガビンさんのユニット『VJ QUIZ』に参加した時もそうですし、とにかく初めてのことには積極的に取り組もうと思っています。目標やビジョンがない分、その時々で自分がどう判断するべきか真剣に考えるようにしていますが、最後は直感です」
「もともとは、クリエイターとして1人で活動していくことなんて考えてもみなかった」という生き方は、マイペースで自然体。理性より直感を大切にして人生を歩んできたからこそ、「体で感じるアニメーション」を制作することができるのです。
年明けからは仲間数人と「尻プロ」というチームを組んで活動していく予定です。同じアニメーションというジャンルながら、線画アニメ、コマ撮りやCGなど、様々な専門分野を持ったクリエイターが集まるため、これまでに以上に幅広い仕事に取り組めると期待しているそう。今後、どのような道を選択していくのか注目したいところですが、その質問への解答も何とも水尻さんらしい言葉で語ってくれました。
「野望はアニメーションの仕事だけで食べていくことです。でも、10年後の自分がどうなっているのかは分からないので、もしかしたら映像作家以外のことをやっているかもしれません。とりあえず今は、目の前にある自分のできることにしっかり集中したいです」
「お気に入り」に溢れた自宅兼作業スペース
女子美術大学の学生時代から住み慣れた東京都杉並区の方南町。駅からほど近いマンションの一室を自宅兼作業スペースにして制作に励んでいます。壁にはお気に入りの美術作品が飾られ、照明はやや暗め。リラックスできる落ち着いた雰囲気の仕事場で、水尻さんのクリエイティブを支えるヒミツ道具を紹介してもらいました。
ヒミツ道具1 トレース台
下からライトを当て、イラストを透かして見えるようにすることで複写を可能にするトレース台。5年間愛用しているお気に入りで、それ以前はガラスのテーブルの下に裸電球を設置して作業していたと言います。
「3、4分の短編でも2千枚ほどのイラストを描くことになるので、なるべく長い時間集中できるよう、ライトなどの機械音がうるさくないものを選んで使っています。夏はライトの温度がこもって熱くなりますが、裸電球の時代から比べるとだいぶ進化したと思います(笑)」
ヒミツ道具2 メンディングテープ
トレース台にイラストを貼付ける際に用いるヒミツ道具。通常はトレース台の上部にある留め具で原稿を固定しますが、イレギュラーな位置にイラストを配置して、複製したい時などに使用するそうです。
「特にどのメンディングテープがいいというのはないんですが、とにかく剥がしやすいものがいいですね。一応ほかのテープとも比較して、一番使いやすいものを選んで愛用しています。普通のセロハンテープだと紙を傷つけてしまいますから」
ヒミツ道具3 消しゴム
手書きでイラストを描くことが多い水尻さんにとって、当然、消しゴムは必須のアイテム。こだわりは太さが違う3つの消しゴムを使いこなすことだと言います。
「1番太い消しゴムはイラスト全体を消すとき、真ん中の太さの消しゴムは線1本1本を消すとき、1番細い消しゴムは線の太さを調整するときに使います。アニメーションの制作では、少しの線のズレも許せない場面があって、そういう時には1番細い消しゴムを使って線を削る細かい作業をすることになります」
ヒミツ道具4 ドキュメントスキャナー
手書きのイラストをすばやく読み込み、動画を確認するために使っているとのこと。「スキャンすると勝手にパソコンに読み込んで連番で保存してくれるので本当に便利」なのだそうです。
「通常のスキャナーより動作が早い分、読み込む際に若干のズレが発生してしまうため、あくまで確認用として重宝しています。Photoshopを使って画面上でイラストを作成する場合はそのまま確認できるのですが、紙でイラストを描く際は相当な枚数を読み込まなければいけません。動きをチェックして何度も書き直す作業をするので、スピーディーに読み込んでくれるドキュメントスキャナーは強い味方です」
ヒミツ道具5 ペンタブレット
□□□(クチロロ)のライブ中に、アニメーション制作の過程を映像で流すパフォーマンスに参加した水尻さん。その際に購入したのが、液晶画面にそのまま描画することができる「Cintiq 12WX」という液晶ペンタブレットです。紙にイラストを描いてスキャニングするのではとてもライブ中に映像を完成させるのは不可能なため、購入を決意したのだといいます。
もともと、ライブパフォーマンス以外にも、Photoshopでイラストに色付けするときには必ずペンタブレットを使用しているとのことです。
「紙に描くことに対してこだわりがありましたが、ペンダブレットを使えばそれとほぼ同じ感触で作業できます。紙に描くのではなく、ペンを使って描くということにこだわっていたのだと思います。特に液晶ペンタブレットは、液晶画面にそのまま描くことができるので、本当にアナログの感覚に近いです」
終始マイペースな語り口で、自身の人生や作品について説明してくれた水尻さん。しかし、その根底には自身の作品についてブレない芯を持っているからこそ、観る者の「感覚」に訴えかけるアニメーションを制作することができるのでしょう。もちろん、それは愛用するヒミツ道具にも言えること。あなたも自身のこだわりを支えるヒミツ道具を、ぜひ探してみてください。