イラストレーター黒田 潔
1975年東京都世田谷区生まれ。多摩美術大学大学院美術研究科グラフィックデザイン専攻修了。複数のデザイン事務所で勤務を経験した後、2003年からはイラストレーター / アートディレクターとして独立する。2005年には、新宿サザンビートプロジェクトのウォールグラフィックで同年の『グッドデザイン賞』を受賞し、注目された。2009年からは、大阪成蹊大学客員教授も勤めている。
- 使用タブレット
- Intuos5
- 使用歴
- 2004年~
- きっかけ
植物や昆虫、動物をモチーフにして、繊細な線画を描く作風が印象的なイラストレーターの黒田潔さん。広告や雑誌のアートワークを多く手掛けていますが、新宿駅前の工事現場の壁をキャンパスとしてイラストを描いた「新宿サザンビートプロジェクト」や、小説家・古川日出男さんとの共作に挑戦したりと、活動の幅は多岐に渡っています。常に新しい可能性を追い求め、未踏の地に踏み込んでいくことを躊躇わない黒田さんのお話からは、アートの枠を超えた「人間の生き方」について見つめ直すヒントが得られること間違いなしです。普段は決して覗くことのできない制作現場から、その力強い言葉をお届けします。
テキスト・宮崎智之
撮影:CINRA編集部
アートとの出逢いが人生を変えた
生まれは東京都世田谷区。多摩川に近く、都心ながら自然に恵まれた地域で育ちました。そんな黒田少年が夢中になったのは、親が買ってくれた百科事典でした。
黒田:とにかく百科事典が大好きで、特に動物や昆虫、植物に惹かれました。その時には分かりませんでしたが、今思えば自然の持つエロチックだったり、少しグロテスクだったり、葉脈が不気味だったりする何とも言えない魅力に取りつかれたんだと思います。図書館に行っては図鑑を借りて実際に描いてみる、ということを繰り返していた記憶があります。
すでに才能の片鱗を見せ始めていた黒田さんですが、幼いころは美術の専門教育を受けたことはなかったそうです。それどころか、意外にも少年期は目的もなくただ1日を過ごすだけの日々を送っていたといいます。そんな怠惰な生活が一変したのは、美大受験のために予備校に通い始めた高校3年生のこと。
黒田:大学受験を控え、本当にやりたいことをしたいと美大受験を決めたまではよかったのですが、なんせデッサンを一度も描いたことがない状態。美術の先生に相談したら、「放課後に美術部で練習するか、予備校に入るかどちらかにしなさい。でも、現役で入るのは無理だと思う」と言われ、カチンときてすぐに予備校に入りました。結果的にその選択が正しかったのか、そこで出会った仲間たちと僕の感覚がすごく合って。切磋琢磨しながら美術の勉強に励むことができました。今でも予備校時代の友人とは仲が良く、プロで活躍している人も多いんです。あ、でも結局は先生の言うとおり、1浪してしまったのですが(笑)。
人との出会いが人生を変えるとは、よく言ったもの。黒田さんの場合は、予備校に入り、志を同じくする仲間と出会えたことで今までの怠惰な生活が嘘だったかのように美術に没頭していきます。「そのままのテンションで、大学時代に突入した」と語る黒田さんは、多摩美術大学デザイン学科に入学後も創作漬けの毎日を過ごし、大学院に入学してからはアートディレクター・青木克憲さんの事務所にも勤務しました。
黒田:大学内だけで評価される存在になるのが嫌で、自分のクリエイティブを仕事にどう結びつけるかを常に考えていました。公募展に応募したり、いろいろな人に作品を見てもらったりと、とにかく動き回っていましたね。特にプロの事務所でデザインの実作業に関わらせてもらったことは、よい勉強になりました。実際に現場で揉まれるなかで、イラストでやっていきたい、と自分の特性を意識できるようになりましたし、少しずつ方向性が見えてきた感じがしました。
その後、事務所を移って3年間勤務したのち、2003年に突然独立を決意。
黒田:周囲にはすごく心配されましたが、まずは貯金をはたいて個展を開き、自分の作品を見てほしい人を招待することから始めました。苦労は、もちろんありましたよ。なにせ、2年間はほとんど仕事がきませんでしたから(笑)。
新宿からアラスカまで――。彷徨い続ける熱い想い
初めての個展には、幼いころからモチーフにしている動物や植物に絞ってイラストを出展。一緒に仕事をしたい人や会ってみたい人にDMを送り、来場してもらえなかった場合には後日、作品をファイリングして展示会の内容を送付したといいます。しかし、そう簡単には仕事はきません。
黒田:あのころは、プレゼンのつもりで個展をたくさん開いていました。カフェに飾りたいと言われればすぐに作品を持っていったし、美容室のトイレに飾らせてもらったこともあります。もちろん、売り込みもかけましたが、ひどい言葉をたくさん浴びせられたり、時にはひと言も発してくれなかったことさえあります。
ただ、今振り返ってみても、「不思議なことに当時はそんなに辛くなかった」と言います。個展を通して知り合った同世代のクリエイターたちと刺激を与え合いながら、とにかく創作に没頭していたからです。そのうち、地道な売り込みが実り始め、徐々に黒田さんのもとに仕事が舞い込んでくるようになりました。
そして2005年には、新宿駅南口駅前にある跨線橋・架替工事現場の囲いにイラストを描く「新宿サザンビートプロジェクト」のウォールグラフィックで『グッドデザイン賞』を受賞。新宿という大都市の公共空間に描かれた絵は多くの人に注目され、黒田さんの仕事を知らしめる作品となりました。また、この経験は黒田さんにとっても、とてもエキサイティングなものとなったようです。
黒田:作品に落書きされたり、謎の電話番号を描かれたりする混沌さが本当におもしろかったですね。完成した次の日には、作品の目の前に屋台が立ち、拾った漫画を売っている人もいました。青山や銀座では、絶対に同じことにはならないでしょう(笑)。
さらに、2010年には小林聡美さん、もたいまさこさんをモデルにした初めてのビジュアルブック『森へ』(ピエブックス)を出版しました。そして、この著書を制作するにあたり、黒田さんは単身、アラスカに渡航することを決意します。
黒田:アラスカの森を取材先に選んだのは、同地などの自然写真で知られる、写真家で詩人の星野道夫さんが好きだったから。星野さんは熊に襲われて亡くなってしまった方なのですが、まず初めは墓石があるシトカという場所に向かい、合計3か所の森を探索しました。アラスカっぽいイラストが散りばめられたビジュアルブックにだけは絶対にしたくなかったので、自分の足で森を歩き、自分の目で動植物を見ることにこだわったんです。
帰国後は、すぐにビジュアルブックの制作に取り組んだ黒田さん。
黒田:アラスカで感じた恐怖や静けさを忘れるのが嫌で、缶詰状態で見てきた動植物をイラストにしていきました。集中しすぎて体調を崩してしまったくらいです。特に印象に残ったのは、巨大な針葉樹。光と水を求めて枝が彷徨っている感じが、何とも不気味でした。地面はほとんど影で覆われていますから、光が当たっている場所に苔が生えている以外は、とにかく針葉樹の根っこが張り巡らされています。森を歩いているというより、大きな根っこの上を歩いているというような感じで…。本を出版した後に東京都現代美術館で高さ6メートル、長さ25メートルの壁画を描く機会があったのですが、そこにはアラスカの地で感じたスケールをリアルな大きさで表現することができました。
話しを聞いているだけで、今にもアラスカの広大な森が目の前に広がってくるようです。
3.11直後に古川日出男さんと話したこと
東京都現代美術館で壁画を描いたのは2010年2月のこと。アラスカの取材には相当なエネルギーを消費したと思いますが、その年の暮れには未開拓な世界へと早くも挑戦していきます。小説家・古川日出男さんとの、一風変わった「共作」に取り組み始めたのです。
黒田さんは、以前から古川さんの表紙絵を担当していました。2006年に古川さんの小説『LOVE』が三島由紀夫賞を受賞したことは記憶に新しいですが、その表紙絵を描いたのも黒田さんです。2人は三島賞の祝賀会の席上で話したことがきっかけとなって交流を開始し、古川さんの朗読会に黒田さんが参加するなど親交を深めていきました。そして、2010年の年末に黒田さんが「いつもは僕が文章を読んでイラストを描いていますが、僕のイラストを見て文章を書くことに興味ありませんか」と大胆な提案をしたのです。
古川さんからの快諾を得た黒田さんは、「口約束にするのはもったいない」と考え、すぐに制作に取りかかります。その甲斐もあり、早速2011年の年始から「交換日記」のようなかたちで創作が始まり、その成果はウェブマガジン『PUBLIC-IMAGE.ORG」や純文学系雑誌『文藝』で連載されました。
黒田:古川さんとの共作が始まる前に、レバノンに旅行に行ってきて、そこで見た装飾的なタイルに魅せられました。今までは自然界の曲線ばかり描いていたのに、突然、直線を描くのがおもしろくなって。せっかく古川さんと仕事ができるなら、いつもどおりの作品にしたくないという思いがあったので、思い切って直線や多角形を描いて渡したんですね。最終的には、動物も描くことになりましたが、初めのころに送った作品があまりにも、いつもとイメージが違うので、古川さんから「黒田さんの野心が恐ろしくなった」と言われてしまいました(笑)。
また、古川さんとの制作を進めている最中に東日本大震災が起ったことも、黒田さんの創作に対する向き合い方に、大きな変化をもたらすことになります。
黒田:アシスタントの中にも東北出身の人がいましたし、誰もがそうであるように本当に衝撃的な出来事でした。でも、古川さんから「とにかく表現ができる場があるということに感謝しましょう」と声をかけていただき、「人々の想いを、作品を通して繋げていくしかない」と思えるようになりました。今は古川さんと制作した一連の作品を書籍化することに、使命感を持って取り組んでいます。
さらに、黒田さんはこう続けます。
黒田:これまでは、自分の目指すところに近づこう近づこうと、がむしゃらにがんばってきました。でも、今は「相手にどう想いを届けるか」という視点を大切にするようにしています。もちろん、広告などの仕事をする際には、もともと考えていたことですが、震災以降はより一層そのことを大切に思うようになりましたね。現在は、試行錯誤を繰り返している最中ですが、そのせいで最近、以前より作品を制作するのに時間がかかってしまって(笑)。でも、それは自分にとって良いことだと思います。慣れてしまって挑戦しなくなることがいちばん怖いですから。
黒田さんの力強い言葉には、1本の太い筋が通っているように思えます。しかし、だからと言って柔軟さを失う訳ではなく、少しずつ出会いや環境に応じて変化し続けているのです。自然界の動植物たちのように。そして、黒田さんが描く、しなやかな「線」のように。
美しい線を描くため、使い続けるペン
世田谷区太子堂にあるビル5階の見渡しが良いオフィス。近くに世田谷公園や昭和女子大があり、窓を開けるとたくさんの緑が目に飛び込んできます。ライターやカメラマンとオフィスをシェアしていて、黒田さんが作業する1室にはこだわりの「ヒミツ道具」がぎっしり。今回は、そのなかでも特に黒田さんのクリエイティブを支えるうえで重要なヒミツ道具を4つ紹介してもらいました。
ヒミツ道具1 植物
生き物をモチーフにイラストを描き続けている黒田さんにとって、手の届く範囲に植物があるかどうかはとても重要なこと。最寄り駅の三軒茶屋で必ず花を購入してきて、オフィスに置くようにしているそうです。
黒田:常に植物が目に入るようにして、脳にその感覚をインプットするように心掛けています。資料だけで描いたイラストではなく、やはり本物からインスパイアを受けた作品の方が、観る者に訴えかける力がありますから。
ヒミツ道具2 ステッドラーとユニの鉛筆
ステッドラーは線をシャープに描くとき、ユニは柔らかいタッチにしたいときに使用するそう。線の美しさにこだわりを持っている黒田さんは、鉛筆削りは使わずに、カッターで芯の太さを微調整していきます。その作業を拝見させていただいたのですが、まるで伝統工芸品を作る職人のような手さばきでした。
黒田:いつもそうなんですけど、鉛筆は余分に多く買っておいて、机の上に重ねて置いておきます。そうすることで、「これが無くなるまで描け!」という自分へのプレッシャーになるんです(笑)。
ヒミツ道具3 呉竹の「筆ごこち」
墨、書道用具メーカーの呉竹が販売する筆風サインペン。2003年の独立時から同じ商品を使い続けていて、「生産停止になったらどうしよう」と心配するほど愛用しているのだとか。もともとは、面相筆を使用していたそうですが、「筆ごこち」の方が安定した太さの線を描けることが魅力。また、水性なのですぐに乾いて手が汚れないことも、この商品を愛用している理由の1つなんだそうです。
ヒミツ道具4 ペンタブレット
黒田さんは以前から、パス抜きの作業でワコムのペンタブレットを使用されているそうです。
黒田:もともとペンタブレットはデザイナーの友人から勧められて2004年くらいから使い始めました。マウスより筆に近い感覚で作業できるので重宝しています。
軽い力での描画が可能になり、より精度の高い作業が行えるようになったIntuos5には黒田さんも「以前使っていたものより、スムーズに線を描くことができます」とその性能に満足していました。さらに、約10メートル離れた場所からでもワイヤレスで操作できることについても、「普段の作業が快適になるだけでなく、ライブペイントなんかにも使えそうですね」と可能性を感じているようでした。
鉛筆や筆風サインペンなど、一度手に馴染んだ商品を使い続ける黒田さんの姿勢には、道具への並々ならぬ愛着が感じられます。植物やペンタブレットも含め、黒田さんが描く独特な線を支えている「ヒミツ道具」たち。これだけ大切に使ってもらえれば、きっと彼らも幸せに感じているはずです。あなたも一生を添い遂げる「ヒミツ道具」を見つけてみては?
線にこだわるがゆえの、アナログとデジタル
黒田さんが線画のスタイルに行き着いたのも、無駄を省くデザイナーの着眼点があったからこそ。線の美しさにこだわった黒田さんの作品は、どのように出来上がるのでしょうか。続いて、先ほど紹介した「ヒミツ道具」をどのように使用し、制作を進めているのかを見ていきましょう。
作業工程1 下書き
まずは鉛筆での下書き。ポイントは、完全な模写ではなく、黒田さんなりの着眼点を加えたイラストにすること。例えば花のイラストを描く際には、花弁や茎、葉などの構造を完全に理解しておく必要があるため、常にオフィスに飾っておくことはもちろん、実際に対象となる植物を観にいくことも多いと言います。「ヒミツ道具」の部分でも触れたように、鉛筆の種類や芯の太さを細かく調整しながら、「線」のもととなる下書きを仕上げていきます。実際に芯の削り方が異なる鉛筆で線を書き比べてもらうと、表出するイメージの違いは一目瞭然。作品の根幹をなす、線の原型を作る大切な工程だと言えるでしょう。
作業工程2 筆入れ
お次は、トレーシングペーパーへの筆入れ。この工程では、ただ単に鉛筆の下書きをなぞっていくのではなく、余分な部分を排除し、フォーカスしたい部分を書き足していきます。取捨選択の基準は「対象をより魅力的に見せるには、どうしたらいいか」を追求すること。自然の保護色だったり、身を守る形状だったり、植物や動物が自然界を生き抜くために手に入れた機能的な部分の先にある、人間の心を魅了するような「デザイン性」を強調していきます。
ちなみに、トレーシングペーパーは「トチマン」製造のもの。世界堂で毎回同じ物を購入してくるそうです。大きな作品を制作する際には、丈夫でよれない厚めのトレーシングペーパーを使用していて、筆入れされたトレーシングペーパーは「原画」として大切にファイリングされていました。
作業工程3 パス抜き
最後に、トレーシングペーパーをスキャンしてパソコンに取り込み、パス化していく作業です。以前はマウスを使用していた黒田さんですが、描いた線をどれだけ綺麗にパス化できるかでイラストのクオリティが変わってくることもあり、より細かい作業に適したペンタブレットを使用するようになったとのこと。
黒田:ベジェ曲線でイラストの線をパス化していく際に、マウスではなくより手に馴染む「ペン」で作業することで、機械的になりがちな動作に「手書き」の感覚を与えることができます。最新機種を使ってみたら、より滑らかに描けるようになっていて驚きました。
こだわりの線を作り上げるために、アナログ、デジタル双方のツールを使いこなす黒田さん。1つ1つの工程を経て線を完成させていくことで、線の精度が高まるだけではなく、まるで感情のレイヤーまで積み重なっていくようでした。普段は完成した作品しかみることはありませんが、創作の裏側を探ってみるとクリエイターの血と涙の結晶が見えてくるようで、作品を鑑賞する心持も変わってきそうですね。