
- ――寺田さんが絵をお仕事にしようと思われたのは、いつ頃からですか。
- 絵を描いていない時期って記憶になくて、物心ついた時にはもう、絵で食べることになっていました。「なっているからにはしょうがない」という感じで、お絵描き一直線で今に至るんですよね。
- ――特に影響を受けた作家や作品はありますか。
- 見てきたもの全てに影響を受けているわけですが、一番はメビウスになります。最初の出会いは、『SFマガジン』という雑誌の紹介記事でした。その後に雑誌『スターログ』が出て、そこら辺で大きく知ることになります。
- 映画では『スター・ウォーズ』があって、マンガでは大友克洋さんが出てきて、SF的なヴィジュアルが一般的に増えた時代ですね。そういう頃に10代のど真ん中だったので、F・フラゼッタであるとか、SF系の人たちが血となり肉となっていると思います。
- ――メビウスのどこに衝撃を受けられたのでしょうか。
- マンガの線とリアルの線のズバリ中間の線を作っていたところですね。例えば油絵のような描き方をしている人にはピンと来なかったかもしれないんですが、大友さんであるとか、線に敏感な人が「こんな線で絵が描けるんだ!」っていう衝撃を受けて、変わっていく感じでしたね。
- ――最初にお仕事として絵を描かれたのは、いつ頃でどんな内容でしたか。
- 阿佐ヶ谷美術専門学校に在学中に、ジュースのラベルのカンプをやりました。専門学校の講師には現場の人が多いから、そのお手伝いみたいな感じで青田買いをされるわけです。仕事をする上での心構えであるとかをその中で学ばせてもらって、それはすごくラッキーでしたね。
- その後は、若いからまぁ、仕事が少なくても、なんとなく人にたかって(笑)生きていける。そういう時代を過ごしながら10年くらいかかって、自分の方向性が見えるような仕事になってきましたね。ここは運というか、そういう人や仕事に出会えるかっていう部分が大きかった気がしますね。

- ――節目になった出会いは何でしょうか。
- どんなものでもつながっているので、一つの出来事っていうのはないですけど、その後で楽になった仕事としてはやはり、『バーチャファイター』ですね。誰でも知っているものが一番の名刺になるので、「バーチャやりました」「あぁ」みたいな感じで仕事をしやすくなるっていうのは、間違いなくありますよね。バーチャ以降に、今までやっていたことが自分の名前の下で一本化出来ていく感覚がありました。
- ――『バーチャファイター』のお仕事はどのような経緯で来たのでしょうか。
- 同じ阿佐美の卒業生で、映画監督の雨宮慶太さんがいてですね、彼が卒業後に作ったイラストの会社に、お手伝いの学生として紹介してもらったんです。で、雨宮さんが撮った劇場映画『ゼイラム』の製作会社の人がセガに移って、バーチャの仕事についたんですね。その人から、ポリゴンのキャラクターのリアルな顔を作ってくれという話が来ました。
- ――『バーチャファイター』のようなゲームのキャラクターデザインから、単体の絵からマンガまで、非常に幅広くやってらっしゃいますよね。それは意識して幅を保っているのでしょうか。
- うーん……いやまぁ、仕事の流れは自分でコントロール出来ない部分のほうが大きいので。ただ、その都度その都度で自分がやりたいことをやれるチャンスがあったら、出来るだけ自分でやりとげておくというのが、後々効いてきますね。そうするといろんな看板が背中や頭に付いてきて、人が頼みやすくなるってことですよね。
- ――セルフプロデュースを上手くなさっていた?
- そこまで大層なものじゃないですよ。単純にやりたいものをやって、まわりの人に見せて面白がるっていうだけです。そういう時に「オレはこれでこういう風になりたいんだ」っていう欲を出しすぎると、あまりよい結果にならない気がしますね。
- 自分が面白がっていることは誰かも面白がってくれるだろうっていう感覚が、一番大事なんだ と思うんです。そうすると本当に「あれ面白かったよ」って言ってくれる人がいて、その人の周りにもまたそれを面白がる人がいたりして、やりたいことにつながっていくわけです。儲けたいとか有名になりたいとかいう分かりやすい欲望は、自分だけのものだから感染しにくいんですけど、面白がるって、意外と感染しやすいんですよ。
- ――イラストとマンガは全然違うとおっしゃる作家さんも多いですが、両方で活躍されている秘訣は何かありますか。
- イラストというのは、例えば小説の挿絵であれば、小説を補ったりちょっとひねった角度から光を当てたりするための存在で、小説より主張したりイメージを固定したりしてはいけない。片やマンガというのは、絵そのものが主体だし、時間や感情の流れを絵で操る感覚が備わっていないといけない。その辺の切りかえをきっちりできないと、なかなか両立しづらいというのはあります。
- 自分は切りかえて両立させられているかと考えたら、オレもまだ出来ていない。自分では根っこがマンガ家だと思ってるんですけど、マンガではやりたいことの10分の1もできてないですし。かといってイラストレーターです!と言い切るのも自分ではまだまだだし。

- ――『キューティーハニー』や『ヤッターマン』といった、アニメのキャラクターを実写向けにリデザインするお仕事でも活躍されていますが、そのポイントはどこにあるのでしょうか。新たにキャラクターデザインをするのとはやはり違いますか。
- うん、違いますね。原作から全く変えるパターンと原作を踏襲するパターンと、大まかに二つあると思うんです。『キューティーハニー』は、コスチュームは変えてしまって構わないという感じで庵野秀明監督の方からオファーが来たので、今の感覚で戦闘服としてデザインしたんです。で、『ヤッターマン』は逆で、「変えないで行きましょう」と最初から三池崇監督と話していたんですよ。
- 『ヤッターマン』の仕事は、三池さんの求める実写のヤッターマンに、天野喜孝さんがデザインしたラインをいかに落としこむかっていうことで、魂の焼きなおしみたいなところがありましたね。アニメのためのデザインは、省略して単純化してエッセンスを煮つめている。実写化では逆に、落とされたディティールを想像して、違和感のないものにしていくわけです。例えば、アニメでは1本の線だけで表されている服の合わせ目は、縫い目なのかバイピングなのかへこんでいるのか……。逆デフォルメというか、絵画の修復に近いところもある気がしますね。これはバーチャ1からバーチャ2の時にやった作業にも似ていて、割と得意分野です。
- ――最近ですと、『仮面ライダーW』のドーパント(怪人)のデザインが話題になりました。
- オレのデザインを現場で演出に生かしてくれたりして、懐の深いスタッフと一緒に仕事が出来て、楽しいばかりでした。
- ――デジタル作画のお話としては、デジタルで絵を描きはじめられたのはいつ頃だったのでしょうか。
- 卒業して何年か後に阿佐美にMacが導入されて、それを触りに行ったのが最初ですね。でも、当時のMacはフルセットで400万円とかしたし、グレースケールだったし、自分で導入するには至らなかった。そこからさらに何年か後に、割と安く買えてカラーを扱えるLC3という機種が出て、それを買いました。同じ頃にPainterの最初のバージョンも出たのかな。『アスキーコミック』という雑誌に描いた『バーチャファイター』のピンナップが、最初のMacでの仕事だった気がしますね。一枚絵はまだ大変で、キャラクターの小さい絵をレイアウトして作りました。Painterは要求マシンスペックが高かったので、Photoshopを使った記憶があります。
- で、 LC3で遊んでいるうちに印刷所や出版社が対応しはじめて、ちょろちょろとやっていたら、バーチャのマンガを描きませんかという話になって。これを全部デジタルでやるために、貯金をはたいてPowerMac 8100を買ったんです。そこでやっと仕事で使えるサイズの絵が扱えるようになって、本格的にデジタルになりますね。『大猿王』も同じ頃に始まり、その2本をデジタルで描くのと歩調を一にして、Painterが仕事に取り入れられていくわけです。

- ――アナログよりデジタルの方が楽だったのでしょうか。
- 作業スピードが2~3倍になったので、楽でしたね。後はやはり、デジタルの面白さが好きなんだと思います。当時は面倒くさいことが多かったしお金もかかったし、好きじゃなければ出来なかったです。
- ――Painterを選ばれた理由はどこにありますか。
- 線を引くとか色を塗るということに関しては、最初はやはり、Painterに一日の長があったような気がしますね。最初がPainterだったから、そのまま使い続けているという感じです。
- ――Painterの伝導師のように見られていることについて、思うところはありますか。
- ちょっと使い始めたのが早かったっていうだけですよね。その位置にいれば、誰でもそうなったのじゃないかと思います。大体オレは、吉井宏さんとかのハウツー記事でPainterの使い方を覚えたわけだから、畏れおおいだけです。でも、それで使う人が増えるんだったら、伝道師もやぶさかじゃないですよ(笑)。
- ――プロの方々も寺田さんにPainterを教えてもらいに行ったというような話も……。
- 伝説がね(笑)、まぁ半分嘘ですからね。見に来た人はたくさんいるけど、「あぁ、こういう風に塗れるのね」と分かって帰っていくという感じです。当時はまだコンピューターでアナログのような色塗りができることを知らない人が多くて。だから単なる見学会ですね。
- ――現在の作画環境を教えてください。
- マシンはMacBookPro17inchです。トラブルもないしスピードも問題ないし、ケーブル外して持って行けば出先でも同じ環境を作れるので、ノートでも大丈夫ですね。OSはMacOS X、ソフトウェアはPainterとPhotoshop、ディスプレイは30インチと17インチのダブルで、ペンタブレットはIntuos4です。
- ――ペンタブレットのペンやPainterのテクスチャなど、ツールへのこだわりはありますか。
- ペンタブレットはグリップも芯も標準のものを使っていますが、描画面にカッターマットを敷いて、つるつるにした上で描いています。テクスチャは描きやすいペーパーが決まっていて、それをいつもセットしています。アナログで言えば、お気に入りの紙を使うのに近い感じですね。
- ――iPod touchやiPadでも絵を描かれていますが、そういった新しい道具への関心は高いですか。
- それは常にあります。文房具屋に行って、新しいペンが出ていたら買ってみるのと同じですね。自分に向いている画材かどうかを知っておきたいので、とりあえず触ってみるんですね。
- ――古い自動車の本を出したり自転車に凝ったりなさっていて、モノ一般への思い入れも強いのでしょうか。
- 車ね、免許を持ってないんですよ(笑)。古い車は手で作られたカーブなんかが、描いていて楽しいってだけなんです。自転車も、アレックス・モールトンという自転車に惚れちゃったのであって、自転車マニアではないし。絵を描くこと以外は大した問題じゃないというところがあるので、熱を入れるアイテムがあっても、マニアやコレクターまでは行かないのですね。
- ――インターネットが爆発的に普及し、ハード、ソフトともに高機能なものが手の届く価格になって、若い人が描いた絵を目にする機会が増えたかと思います。そういった絵を見てどう思われますか。
- 総じて達者ですよね。上手い人が増えて、その上手い絵ばかり見ているからますます上手くなるだろうし、オレらが同じ年だった時より、明らかに上手い。それはとても素晴らしいことだと思います。刺激になりますし影響も受けます。
- ただ、自分の人生の折り返し地点を過ぎて、人のことを気にしている時間はないっていう感じもありますね。
- ――人生の長さに対して、書き終えられる絵の枚数ややり残していることを考えるということですか。
- そうですねぇ。どっちにしても人はやりかけのまま死ぬと思うので、「今日やりかけで死ぬけど、まぁいいか」と思えるかどうか、全力でやりかけにするというところが、歳を取ってくると求められているような気がしますね。
- ――最後に、次にインタビューに登場していただくお友達をご紹介ください。
- 笹井一個さんを紹介します。随分前からネットで見て「上手いなあ」と思っていた人です。ラフなタッチの使い方が凄い。大好きな絵を描く人です。
- ――どうもありがとうございました!
『キマイラ9・玄象変』(朝日新聞社刊) (c)寺田克也
『コミックビーム』2010年11月号(エンターブレイン刊) (c)寺田克也
書籍紹介

『西遊奇伝・大猿王 2』
著者:寺田克也
刊行:集英社
定価:2,000円(税込)
孫悟空が最強&最悪のアンチ・ヒーローに生まれ変わった!全編オールカラーで描かれる寺田克也流『西遊記』、待望の第2巻が2010年6月に発売されました。
「イラストレーターのわ」は、業界で活躍するイラストレーターの方へのインタビューと、
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