
- ——岡崎さんが絵を描き始められたきっかけから教えて下さい。
- 子どもの頃から、絵を描くのは好きでした。漫画家になりたいと思って、ノートに絵を描いたりしてましたね。小学校低学年の頃に描いた漫画を最近になって読み返すと、コマを斜めに割ってたり、俯瞰のカットを入れていたり、すごく自由に描いてあるんですよね。今よりもっと奔放に描けてる(笑)。
- ——当時から、アメコミもお好きだったんですか?
- 好きでしたね。一番影響を受けたのが、小学生の頃に買ってもらった「バットマン:イヤーワン」です。原作はフランク・ミラーで、日本語版も出ているとても有名な作品ですね。英語版だったので内容はさっぱりわからなかったんですけど、絵や色遣いが渋くて「すごいカッコいい!」と思って、興味を持つようになりました。
- ——美大を受けられた経緯というのは。
- 高校生の頃、兄が既に美大受験をしていたんです。僕が趣味で点描画みたいなものを描いているのを見て「美大受験してみたら?」と進められたんです。美術の大学がある事すら知らなかったんですけど(笑)、勉強も全然できなかったし、やってみようかな、という感じで予備校に通い始めました。全くの初心者だったのでデッサンなんかもへたくそで。それでも、一浪した後になんとか多摩美大の彫刻科に入れました。大学では現代彫刻や現代美術にハマって「将来は現代美術作家になろう!」って思ってました。

©岡崎能士・GONZO
- ——その後、イラストレーターへと転身を遂げるわけですが。
- 立体作品を作るのって、場所や道具を揃えるだけでお金がかかるんです。でもバイトしながら制作するスタイルは僕には向いてないなと思っていたら、兄の友達の今井トゥーンズさんの活躍を知って、絵を描いてお金がもらえるなら僕もイラストレーターになろうと(笑)。イラストで稼ぎながら作品を発表していければいいかなと思うようになりました。
- ——表現することとは別に、お金を稼ぐためにイラストを。
- でも、勿論そんなにすぐ喰えるわけもなくて(笑)。「何とかなる」くらいに思ってたんですけど、社会は甘くないなぁと。それでも、仕事をしていくうちにだんだん絵を描くことが面白くなってきて。それから、がっつり絵だけ描いていこうと思うようになりました。
- ——お仕事を始められて、フリーになられたのはいつ頃ですか?
- それまではデザインの会社でアルバイトをしながら、知り合いから仕事を振ってもらったりイベントのチラシを描いたりしてたんですが、2000年に「スペーストラベラーズ」という映画のお仕事が決まったときに、映画の仕事が決まったんだから食って行けるはず!と思ってフリーになりました。

- ——「スペーストラベラーズ」の本広克行監督とは、他にも「踊る大捜査線 THE MOVIE 2、3」の「湾岸くん」のキャラクターデザインなど、一緒のお仕事が多いですね。
- 「交渉人真下正義」のマスコットキャラとか色々やらせていただいています。出会った頃は本当に駆け出しでガチガチに緊張してたんですが、初めて本広監督にお会いした時に「イデオン」とか「ボトムズ」あたりのロボットアニメ話で盛り上がったんですよ(笑)。そうやって付き合いが始まって今でも、色々とお世話になってます。
- ——ミニコミ紙「ノウノウハウ」は、どういったきっかけで出版されたんですか?
- 一人暮らしを始めた頃、同世代の駆け出しのイラストレーターと飲むようになったんです。当たり前ですが、その頃は自分の描きたい絵と仕事で描く絵は違う場合がほとんどで、愚痴を言い合ったりしてたんですよ。そこで「こんなに文句言ってるんだったら、自分らで身銭を切ってやってみない?」という話になって「ノウノウハウ」を始めました。最初は4人で、部数も200部刷るのが精一杯でした。もちろん手売りなので、本屋さんに持っていって置いてもらったり、そこで断られたりとか(笑)。その後、回を重ねるごとに徐々に仲間が増えていった感じです。
- ——そこで、「アフロサムライ」が生まれるわけですよね。
- 「アフロ」のキャラクターは学生の頃から描いていて、ストーリーや他のキャラのアイデアもずっと考えてたので、それをノウノウハウでやってみようという感じでした。これで稼ごうとは思ってませんでしたし、身銭切るなら、描きたいものだけ描こうという感じでした。(笑)
- ——サムライでアフロヘアーだと、どうしてもギャグテイストを感じてしまいがちな部分なんですが、内容はものすごくシリアスですよね。
- 僕は逆に、その「アフロ=ギャグ」みたいな認識が理解できないです(笑)。アフロはカッコいいものなんですよ。高校生のときに「ドゥ・ザ・ライト・シング」という映画を観て、パブリック・エネミーの「Fight The Power」を聴いてからヒッピホップにハマったんです。そこから70年代のソウルミュージックにも興味を持つようになって、当時BSでやっていた「SOUL TRAIN」を見てると、アフロが超デカくて本当にカッコいいんですよ! 僕も本気でアフロにしようと思ったんですが、床屋に「髪の毛が溶けるよ」と言われて諦めました(笑)。

- ——ノウノウハウで作った同人誌を、サミュエル・L・ジャクソンが見て、アメリカでアニメになるわけですが、どういった経緯だったんですか?
- 話せば長いのですが、GONZOから若手アーティストに会いたいという連絡があって、手土産に別の企画で作った「アフロサムライ」フィギュアを持っていったんです。その方が自分のデスクに飾っておいてくれていたのを海外担当のプロデューサーの方がたまたま見て「これはアメリカで絶対ウケる」と盛り上がってくれて、一緒に企画をやっていきましょうという話になりました。宣伝用のパイロットフィルムを作って配ったりしてて、みんな面白がってはくれるんだけど全然話が進まなかったんです。で、そのDVDを送った先にサミュエルのエージェント会社もあって。担当さんが会社で観てたときにたまたまサミュエルの目にとまって。要約するとこんな感じです。
- ——奇跡の連続だったんですね。
- 本当にそうですね! GONZOの海外担当にサミュエルから「俺がアフロサムライになるからよろしく」って電話があったらしいです(笑)。それから急に話が進み始めて、今に至るといった感じです。本当にツイてましたね。サミュエルと初めて会ったとき、「子連れ狼」のTシャツを着て、キャップが「スターウォーズ エピソードⅡ」で、ああもうこの人に全部任せていいやと思いました(笑)。「アフロサムライ」って要するに「子連れ狼+スターウォーズ」なんで、当時アメリカで一番理解してくれていたんじゃないでしょうか。しかも、その格好をしてる人は、ジェダイ・マスターですからね(笑)。
- ——どういうところが海外で受けたんだと思いますか?
- まずは、サミュエルが参加してくれた事がかなり大きいと思います。あと、アメリカのファンは、黒人の方が多いんですけど、みんな「(生身の)黒人ヒーローって実はいなかったんだよ」とか「アニメって白人の主人公ばかりだったから、これは俺たちのアニメだ」と言ってくれますね。本当に嬉しいです。
- ——趣味で始めたものが大きな仕事になったわけですが、心境の変化はありましたか?
- この現状を考えると、本当にありがたいと思います。趣味で無責任に描けなくなるという部分は寂しいですけど、仕事でやる以上はそれなりのものを、この絵の方向でもっといいものを、という意識になれたことは、すごくよかったなと思います。
- ——アニメのお仕事は、いかがでしたか?
- アニメは好きでしたが、絵を動かすのがどれだけ大変か理解してなかったので「アフロの髪とハチマキはずっと動いてて下さい」とかいう無茶なオーダーを平気でしてました(笑)。今思うと、本当に申し訳なかったなあと思います。アニメはマンガと違って、みんなでアイデアを出しながら作っていくことが醍醐味だと思いました。次作の「アフロサムライ:レザレクション」では、スタッフが前作とほとんど一緒だったので、アニメーターさんも色々アイデアを出してくれて。「アフロはこういうことしないんじゃない?」とか「こんなキャラどう?」とか、それぞれの〝アフロ観〟が芽生えていたのがすごく嬉しかったですね。
- ——アニメだと、「サマーウォーズ」ではキングカズマなどアバターのデザインもやられていますね。
- 「劇場版デジモンアドベンチャー」の頃から、細田守監督の大ファンだったので、最初は本当に緊張しちゃって。打ち合わせで「こういうキャラを考えて欲しいんだけど、ウサギみたいなのどうかな?」と紙と鉛筆渡されて、びくびくしながら紙の端っこにすごく小さく描いてました(笑)。でも、その場で絵を描き合ってアイデアを出すスタイルってすごくいいなと思ったし、色々勉強させてもらいました。この仕事ができたのは本当に嬉しかったですね。アクションの作画も最高だったし、そもそも映画自体が最高でしたし。変な感じなんですけど、劇場で普通に「カッコイー!」って観てました(笑)。

©2009 SUMMERWARS FILM PARTNERS
- ——漫画「AFRO SAMURAI」で改めて「アフロ」を描くにあたっては、いかがでしたか?
- ノウノウハウで無責任に描いたときとは違って、色々な責任を背負って出さなきゃいけないので、何から描いていいかわからなくなっちゃったんですよね(笑)。これはまずいということで、漫画の描き方の本と、売れてるマンガの10巻だけ買ってきて参考にしました。10巻頃って、絵が一番いい感じのときかなと思って。
- ——「AFRO SAMURAI」では、フォーカスをぼかしたり、デジタル処理を意識的に使われていますね。
- 線数が多い、昔の劇画みたいにしたかったんですけど、それだと圧力が出過ぎて見づらくなるので、何とかしようと試行錯誤して、こういう処理にしました。最近はずっとこのやり方でやってます。
- ——最初にPCで描くことになったのはいつ頃ですか?
- 学生の頃に彫刻科だったので、色の使い方とか混ぜ方が全然わからなかったんですよ。イラストの仕事をやっていくにあたって、これはちょっとマズいなと思っていたら、今はパソコンという便利なものがあるんだという話を聞いて、MacのPerformaを買いました。Photoshopなら色を混ぜる課程も見ながらできるし、やり直しも簡単だということで、絵の具がわりに買ったんです。
- ——ペンタブレットは何を使われてるんですか?
- Intuos3です。線画を取り込んだ後の色塗りの工程で使っています。Macでイラストを描いてしばらくはマウスで作業してたんですよ。ペンタブを初めて使った時に、ちょっと酔ってしまって。手元を動かしているのに、ポインタは画面で動いているのに慣れなくて。それで使ってなかったんですけど、さすがにマウスの限界を感じて、ペンタブレットを買いました。今となっては必需品です。すごく便利ですよね。
- ——今回、液晶ペンタブレットを使われて、いかがですか?
- やっぱり鉛筆や紙を使って描くこととは違う面白さがあるなと思いました。アナログで描いたものに近づけるというよりは、液晶ペンタブレットなりの面白い線や表現ができそうだなあと。どこまでも描いていたくなるような気持ちよさがありますね。
- ——今後のお仕事で、決まっているものはありますか?
- 小学館プロダクションから8月末に発売になる「カウボーイ&エイリアン」というアメコミの日本語版カバーを描きます。あと、渋谷のホテルメッツで、壁に僕の絵が描いてある部屋があります。渋谷を中心に活躍するアーティストということで、5組で5部屋担当した中の一部屋です。個人的には、特に渋谷中心で活動しているつもりはないんですが(笑)、楽しい仕事でしたね。僕は漫画部屋をやらせてもらいました。

- ——今後、こんなことがやりたいというのはありますか?
- すごく大変だし、本当にくたくたになるんですけど、思いついたアイデアを表現するにはやっぱり漫画が最適だなと思っています。またノウノウハウみたいな感じで、野放しの状態で描いてみたいですね。「アフロ」も僕の中ではすごく長いお話なんですよ。オチも決まっているので、死ぬまでに描ければいいなあと思ってます。
- ——次回に登場いただける方を紹介してください。
- 今日の話にも出てきました、今井トゥーンズさんを。ノウノウハウの頃からの付き合いですね。今井さんの活躍を間近で見てなかったらこっちの世界には行かなかったかもしれないので、現在に至るきっかけを作ってくれた一人です。
書籍紹介

『AFRO SAMURAI』
著者:岡崎能士
定価:2,100円(税込)
発行:パルコ出版
世界は、神に等しい力を持つ「No.1」に支配されていた。絶対的な「No.1」に挑むことが許された唯一の存在「No.2」。
ハリウッド俳優“サミュエル・L・ジャクソン”が製作&声優で参加した全米で大熱狂の超弩級アニメーション「AFRO SAMURAI」の原作コミック!!!
「イラストレーターのわ」は、業界で活躍するイラストレーターの方へのインタビューと、
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