
- ――笹井さんが絵を描き始められたのはいつ頃からですか?
- 上の兄と従姉が漫画好きで、二人の蔵書を片端から読んで育ちました。従姉が絵を描く人で、その真似をして自分も描き始めて。中高生の頃はひたすら閉じこもって1人で描いていて、周りに絵を描く人は彼女しかいなかったので、その影響が大きいです。

笹井さんのお友達が立体化したうぐいすリボンの人形
- ――絵をお仕事にされるようになったのは、どのような経緯ですか?
- 大学の建築科を中退して就職しようという時に、趣味で描いていた絵しかアピールできるものが思いつかなくて。それで、ゲーム会社に電話を掛けて、持ち込みというか飛び込みで。いま思うと無謀な就職活動なんですけれど、運よくSCEの『ICO』のチームが立ち上げ時期で、拾ってもらいました。上田文人さん以外にはまだバイトの私1人だけで。上田さんから3DCGを教わったりしていたんですけど、不肖の弟子でした(笑)。『ICO』ではステージを作る役で、お城の制作に関わりました。
- ――イラストレーターとしてのお仕事をされるようになったのは?
- 『ICO』の製作が終わったら、絵の仕事をもらいに持ち込みを始めようと、ポートフォリオになる様な作品集的な同人誌を作ったんですね。それをコミティアで買ってくれた編集者さんから、描きませんかと言われて、第二回日本SF新人賞の『ペロー・ザ・キャット全仕事』(徳間書店)の挿絵をやらせていただきました。作家の吉川良太郎さんも、絵描きの私も新人で。自分ではそのつもりは無かったんですが「バンド・デシネっぽい」絵を描いていると言われていたので、フランスが舞台の作品と合わせてもらったのかなあと。

辻村深月『子供たちは夜と遊ぶ(下)』文庫版・表紙イラスト
- ――挿画のお仕事では、佐藤友哉さんの著書のイメージが大きいのですが。
- 佐藤さんの作品とは10年くらいのお付き合いですけど、佐藤さんと直接お会いして話したのは最近で。仕事のやり取りは編集さんから「女の子を可愛くしてください、と佐藤さんが言っていました」というような伝言をいただくくらいです。
- ――挿画で影響を受けた方はいらっしゃいますか?
- 天野嘉孝さんの挿絵がすごく好きだったので、その影響は強いと思います。 菊池秀行さんの『吸血鬼ハンター D』というシリーズで、主人公はものすごい美形という設定なんですが、一巻を読むとそんなことは一言も書いてないんですよね。天野さんの描いた挿絵が美形だから、そういう事になっていった。挿絵ってこうあるべきだよなあって思ったりして。文章をただ説明するだけじゃダメなんだ、と。
- ――『コトリと一太』という漫画作品も描かれてますが、漫画についてはいかがですか?
- 漫画は毎回考えながら描いている感じで、結局ずっと手探りです。読みやすさを考えていくと、絵的にはすごい普通のものになって。絵的な面白さを追求していくと今度は読みにくくなって、『コトリ』もどっちがいいか悩んでました。
- ――他には『ケモノヅメ』の背景や『GUNDAM EVOLVE』のデザインなど、アニメのお仕事もされてますね。
- 『ケモノヅメ』は、エスの編集部を通じて、誰かイラストレーターはいないかというお話を頂いて、手をあげました。面接受けて、テストを受けて。当時、湯浅政明監督のことをあまり知らなくて。ちょうどリバイバルで上映していた『マインドゲーム』を観たらすごく面白くてびっくりしました。監督のイメージスケッチもすごく素敵な絵で。
- 普段、絵を描く時は、漠然としたイメージを絞り込んでいってどこかに着地させる感じなんですが、アニメは細かな演出意図がはっきりあって、絵コンテでゴールが決められているので勝手が違って難しい。アニメの背景では、自分がなんとなくやっていたことが、ちゃんとノウハウになっていて感心していたんですけど、スタッフさんからは、ノウハウ通りでもつまらないし、いわゆる「アニメの背景」とは違う絵が欲しくてイラストレーターを起用したんだからと言われて、なるほどと。実験的なことを色々やっている作品で、現場は本当に大変なことになっていたんですけれど、その結果、個性的なアニメーターさんが脚光を浴びたりして。すごく面白いお仕事でした。
- 『GUNDAM EVOLVE../11』は、大学の先輩がサンライズで私を候補の一人に挙げてくれたそうで、決定権のある方が絵を「変わってる」と気に入ってくれました。ガンダムの知識は学生の頃に『Gガンダム』をみんなで観たくらいでという話をしたら、「そういう人の方がいい」と逆に喜ばれた(笑)。3DCGになることは意識しないで描いて欲しいと言われたので、遠慮せずいつも通りに描きました。でも、3Dにはしにくかったろうな。

「季刊エス」フリーテーマイラスト連載『DROP』より
- ――変わったところでは、講談社BOXが開店した「KOBO CAFE」のオリジナルグッズとして飴のデザインも。
- カフェを立ち上げる時に、担当の編集者さんと、いろいろグッズも作りましょうと盛り上がって、名古屋にある飴の工場まで見学に行きました。完全に職人さんの手作業で、混色もその場で飴を練りながら、熟練の勘でやるんですよ。面白いなあって思って。
- 少し前に注染染めの工場にも見学させてもらいに行ってきました。自分でも手ぬぐいをお願いしたいと思って。伝統的な柄も素敵なんだけど、自分で作るならデジタルとアナログをうまく絡められるといいですよね。何かうまいことできるといいなと思っています。

「季刊エス」フリーテーマイラスト連載『DROP』より
- ――最近では、Twitterが切欠になった非実在オフなどの活動もされていますね。
-
Twitterは色々な人がいて楽しいです。群像劇みたい。
都条例関連で知り合った方が「うぐいすリボン」っていうアウェアネス・リボンを始めることになって、そのキャラクターデザインなんかで協力しています。趣旨に賛同する人は好きに加工していいよっていう素材を、ネットに公開しています。
今までは政治や社会問題には興味なかった人が、初めてこんな活動をしたという話をしている、その手探り感も面白いし、一方でプロフェッショナルな人達も居るし。Twitter上には出てこない情報ももちろんあるんですけど、今までとは見れる範囲が全然ちがうなあって。いきなりすごく広くなりました。

- ――ブログでもよく触れられていますが、自転車がお好きなんですね。
- 観る専門ですけど(笑)。お試し期間のCS放送でちょうどツール・ド・フランスをやっていて、それがすごく面白い年だったんですよね。それでハマってしまって。自転車レースもそうなんですけれど、路上系というか、いろんな人が居て公道を使って何かをする、お祭りのようなことが好きなんです。
- ――街中に現れる非日常空間みたいなものに惹かれるということですか?
- そうそう、お祭り感が楽しい。横浜開国博に『ラ・マシン』が来日したときは、三日間ついて回りました。最初は怪獣映画の冒頭みたいに大きなクモのマシンが人知れず沿岸に降ろされて、一部の人がそれを目撃して、街の中を生演奏でパレードして、最終的には大観衆が集まって。街が舞台になっちゃうんですよね。みんな登場人物になって、天気なんかも舞台装置の一部になって。すごく贅沢な体験でした。
- ――前回のインタビューで笹井さんを紹介して頂いた寺田克也さんとは、ネットを通じてお知り合いになられたとか。
-
自分のサイトを作ったのが98年の5月かな。その時は、まだ今ほどネット上で絵を発表している人はいなかったので、絵描き同士がなんとなく友達になりやすかったんです。「猿勝負」という、寺田さんを冠したイラスト投稿の企画をやられている方がいて、その繋がりの人たちと仲良くなって、企画にも参加したりして。私も企画をやって、寺田さんが参加してくれたり。
バンド・デシネも、その頃に教えてもらいました。それまでメビウスも知らなくて「メビウス知らないのお?」みたいな感じで面白がられてました。
- ――いまはどのような作業環境で絵を描かれているんですか?
- 普通に、モニタが1つあって、キーボードがあって、ペンタブレットがあってという感じです。最初は友達が自作PCを作った余りのパーツでDOS/Vマシンを組んでもらって始めたんですよ。だから貧乏環境が身に染みついていて(笑)。そろそろ変えないと、とは思うんですけれど、最初の頃を思い出して、あれで仕事ができたんだから今もできるはずと思ったりします。当時はレイヤーも使わなかったし、貧乏な工夫に満ち溢れていたんですよね。

- ――いつ頃からデジタル作画に移行されたんですか?
-
SCEにいた、97~8年頃かな。それまではPCの使い方すら知らなくて。インターネットやPhotoshopの使い方も会社で「これが右クリックで……」みたいなところから教えてもらって(笑)。
Painterを使い始めたのは、寺田さんが使っていたので、これで絵も描けるんだ!と思ったから。描いてみたら凄く面白くて、CG絵を描き続けていたら、いつの間にかイラストレーターになっていたという。 - ペンタブレットは最初のPCと一緒に初代のIntuosを買って、結構長い期間、使っていたと思います。ペンもデフォルトのものだったりして、最初に覚えたことをずっとやってしまうのかも。
- ――これから先、どのようなお仕事をされていきたいですか。
-
今は画集を出そうという話があって、準備しているところです。今までの仕事を全部盛り込んだものになると思います。
あとは、機会があれば何でもやりたいです。これまで、立ち上げ時期の変わった企画に絡むことが多くて、そういう仕事は試行錯誤があって面白いですよね。祭から祭を渡り歩く、寅さんみたいな感じ(笑)。
- ――最後に、次にインタビューに登場していただくお友達をご紹介ください。
- 漫画家のヒロモト森一さんをご紹介します。バンド・デシネ作家のニコラ・ド・クレシーの来日パーティーでお会いしたんです。ウルヴァリンみたいな人がいる……と思っていただ、それがヒロモトさんだった(笑)。『デビルマン』を色々な漫画家さんが描くというトリビュート企画で描いていらしたシレーヌがすごくかっこよくて、ファンになりました。色々なかっこよさがミックスされた、絵心をもっている方だと思います。

トップイラスト:辻村深月『子供たちは夜と遊ぶ(上)』文庫版・表紙イラスト
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