マンガ家
高橋しん
『いいひと。』『最終兵器彼女』を始め数々の人気作品を手掛け、90年代後半からいち早くマンガの制作にデジタルを活用してきたことでも知られるマンガ家・高橋しんさんによる「Wacom Cintiq Pro 24」を使ったライブペインティングを公開!(2019年7月3日撮影)
Drawing with Wacom 097/ 高橋しん インタビュー
高橋しんさんのペンタブレット・ヒストリー
『最終兵器彼女』単行本第4集表紙イラスト(2000)
©高橋しん/小学館
――高橋さんは早い時期からマンガの制作にデジタル技術を使われてきたことで知られていますが、どのような経緯でPCを導入されたのですか。
中学生の頃に近所の楽器店でナショナル(現パナソニック)のJR-100というパソコンに触れて以来、独学でBASICやマシン語を学んでプログラムを作るようなマイコン少年だったんです。その後、富士通のFM-7やNECのPC-9801といった国産PCを経て、大学を卒業した後に一緒に住んでいた兄が音楽をやるためにMacintosh SEを使っているのを見て、なんとなくクリエイティブな用途に使えるのかなと思うようになったんです。
自分はマンガ家になる前に、他の先生のアシスタントをして技術を学ぶことをしておらず、基本的なテクニックを知らずに独学で描いていたので、デジタルを使うことで技術不足を補えるかなと思い、Macintosh Quadra840AVを買って『いいひと。』(1993年/小学館「ビッグコミックスピリッツ」掲載)の中で使い始めました。
――ペンタブレットを初めて使われたのはいつ頃ですか?
マンガにMacを使い始めたのと同時に、海外メーカー製のペンタブレットを使い始めました。Photoshopのバージョンがまだ2.5でレイヤーの使えない時代だったので、途中段階の絵をひとつひとつ保存しながらの作業が大変で。連載しながらいきなり絵が変わって見えるのもよくないと思い、少しづつ、ここならOKかなと思う部分から使っていたので、気づいていない人も多かったんじゃないかなと。カラーもコピックから徐々にデジタルになりましたが、その頃は印刷所のほうがデジタル入稿に慣れていなくて。せっかくだからマーカーで塗れないような彩度の高い色を使おうと思ってエメラルドグリーン的な色を使ったら、色校で灰色になって戻ってきたりしました(笑)。
――現在の作画環境がどのようなものか教えてください。
Intuos2が発売された頃からワコムさんの板型ペンタブレットを使うようになって、現在はIntuos5のMサイズを使っています。作画ツールは主にAdobe Photoshop CCです。以前はペン入れまでComicStudioでやっていましたが、最近はPhotoshopでペン入れができるようになりました。マンガのネームと、イラストのラフだけは習慣的にCLIP STUDIO PAINTで描くこともありますね。PCはiMac(2017/27inch,3.4GHz)で、サブディスプレイ(EIZO/FlexScan SX2462W)に作画するページの全体を表示しながら作業しています。
事務所での作画環境はiMac(2017)の27inch,3.4GHzモデルとサブディスプレイにEIZOのFlexScan SX2462を組み合わせて使っている。ペンタブレットはIntuos5のMサイズを使用。イラストや漫画原稿を描く時は、縦置きのサブディスプレイに全体を表示してバランスを確認しながら描く。データはDropboxで共有して自宅の作業環境にもそのまま引き継ぎ可能。
――今回、液晶ペンタブレットWacom Cintiq Pro 24を使われてみた感想はいかがですか。
新鮮というよりは、自然なスタイルに戻ったという感じです。今でも色紙を描く時はアナログで描いているんですれど、それと同じ感覚で使っていたので、ほとんど違和感がなかったですね。Intuosよりもしっかりと描いている感があるので、ペンの筆圧などの設定を自分用に調整していけばその感じを活かせるんじゃないかと思いました。液晶ペンタブレットはどうしても描く姿勢によって視差があるのかなという印象でいたのですが、よく考えれば板型のペンタブレットのだってペン先と画面が離れているわけなので、それと同様、ペン先やカーソルを追うのではなく描線を追う気持で描けばすぐ慣れますね。
――画面の大きさや色はいかがですか。
液晶画面も大きくて色が綺麗なので見やすいと思いました。拡大しながら絵を描いていると、全体で見た時に密度やバランスが破綻してしまうことがあるので、普段はサブディスプレイに全体を表示しながら作業していますが、これくらい大きさがあれば同じ画面内に表示させながら描くこともできるんじゃないかと思います。マンガ家は毎週18ページを1コマ1コマ描きながら、読者が読むサイズで破綻していないかを判断しつづけるような職業なので、大画面で雑誌と同じサイズでのクオリティが担保されている安心感は大きいですね。
高橋しんさんのクリエイティブ・スタイル
――普段、イラストを描く時のワークフローを教えてください。
CLIP SUTUDIO PAINTで何パターンかアタリを描いてみて、だいたい決まったところで書き出してPhotoshop用のテンプレートにペーストして、ペン入れをします。ペン入れができたら色塗り用のマスクを作って、ベタ塗りで塗っていきます。今はカラーの得意なスタッフさんが髪の毛のツヤや影など細かいところまで塗ってくれることが多いですね。アナログの時代はカラー原稿はマンガ家の仕事で人に任せられなかったんですけれど、デジタルは後から自分のイメージに近づけることもできるので、分業でスタッフさんがいいと思う感じにのびのびと塗ってもらっています。
『髪を切りに来ました。』第2話より(2019)
©高橋しん/白泉社
――マンガ原稿の進め方はどのような感じですか?
CLIP STUDIO PAINTで描いたネームをDropboxで共有して、スタッフさんが1ページづつ確認しながらPhotoshopの原稿用テンプレートに貼りつけます。そこからネームに従ってコマ割り線を入れたり、ライブラリ化してある基本的な吹き出しを配置して、後はペンが入ればというところまで用意してくれます。並行して、作画スタッフから背景が上がってきたり、ベテランの遠隔スタッフさんがネームのアタリから下描きを起こしてくれるので、それらをPhotoshop上のレイヤーで合わせて、必要な下描きを加筆しつつペン入れして仕上げるという感じですね。アナログで作業するスタッフさんもいますが、素材は基本的にデジタルベースでDropboxで共有しているので、以前のように紙からスキャンする作業は少なくなりました。
――今回、描いていただいたイラストのポイントはどのへんでしょうか。
『花と奥たん』(小学館「ビッグコミックスピリッツ」掲載)というマンガのキャラクターで、のびのびとした感じになればいいなと思って描いた絵です。奥たんは、こちらを見てにっこり笑うようなフォトジェニックさではなく、ウサギ的なかわいらしさがテーマなので、作中のキャラクターであるウサギのPたんと同じ赤い色で瞳を塗ってみました。背景はCD-ROMの時代から使っているフリー素材の花畑の写真をパターンにして使っています。
――デジタル歴が長いだけあって、Photoshopのアクションやノウハウの蓄積を感じました。
昔から使っているアクションなので、使わない機能もあります(笑)。Photoshopでペン入れまでするようになったのは最近で、ブラシは黒色でアンチエイリアスが入った6pxのペン入れ専用ブラシや、吹き出し用の2値ブラシを作って使っています。その他は、光のキラキラを散らすブラシや、以前はComicStudioで書いていた筆文字になんとなく近い効果がだせるブラシを作ってツールパレットに置いてあります。そんなにカスタムブラシを作るほうではありませんが、以前、バッタが大量に出てくるシーンを描くのにバッタのブラシを作っておいたら、何も知らずにスタッフさんが使ってしまい驚いてました(笑)。
『雪にツバサ』単行本第1巻表紙イラスト(2011)
©高橋しん/講談社
――標準的な丸ブラシで塗った後に、指先ツールで筆塗りのようなタッチをつけているのに驚きました。
昔はPainterに持っていって……ということをやっていましたが、最近は凝った感じの塗りよりも、少しフラットだけど雰囲気があるくらいに抑えて描いたほうが綺麗かなと思っていて。ベタに塗ってから指先ツールで馴染ませたり、ヌケを作るほうが作業的にも速いですし、いまの画風にも合っているかなと感じています。
――今回のイラストもですが、高橋さんのイラストは光の感じや、柔らい色合いが印象的です。
自分の好みですが、カラーの場合は、見た人がすごいと思うより、ほっとしてもらえるような絵にすることが多いですね。光を描く時は、白だけでは光に見えないんです。光には色があるので、オレンジや黄緑みたいな、光の要素の中にある色を乗せてやることで、光を感じる絵になります。
――イラストに描かれているお弁当もですが、『花と奥たん』の作中カラーで描かれる食べ物は、普段のカラーイラストに比べて強い色が使われている気がします。
美味しそうに描くことは当たり前ですが、特に『花と奥たん』の作中では食べ物が夢のあるものとして見てもらいたいので、なるべく華やかな色の組み合わせを考えて塗っています。自分はあまりお弁当を作ったことはないんですけれど、おかずの色合いを綺麗に考えるのは大変ですよね。そういう色味が楽しみになるような食べ物は特に意識して描いていますね。
花畑のパターンで塗り潰した背景の上にレイヤー(通常)を重ねて、光で飛ばす部分に放射状グラデーションで白を乗せる。
さらに白のグラデーションの境界に重ねるようにしてレイヤー(スクリーン)でオレンジや緑といった「光の色」を描くことで画面の中に光を感じさせる表現が可能になる。
(動画では12:56あたりから高橋さんが光の色を描く作業を見ることができます。)
高橋しんさんのクリエイターズ・ストーリー
――高橋さんは、箱根駅伝のランナーからマンガ家になったという異色の経歴をお持ちですが、マンガ家になりたいと思ったのはいつ頃ですか?
小学生の頃から、マンガ好きの兄がチラシの裏に描いていたのを真似して鉛筆でマンガを描いていたんです。小学校のクラブ活動で描いた『ぼくたちの宇宙船』という30ページくらいのマンガが初めての完成作品ですね(笑)。将来的にはマンガや絵に関係する仕事につきたいと思っていたので、大学進学の時にも迷いましたが、父が「ダメだと思ったら自分のやりたい道に行っていいから、陸上でどれだけ走れるか試してもらいたい」と言ってくれたので山梨学院大学に進みました。陸上選手としての生活を終えたらマンガの道に進むと決めていたので、駅伝に打ち込んでいる間も気持ち的には途切れていませんでしたね。
『いいひと。』単行本第11集表紙イラスト(1996)
©高橋しん/小学館
――そして箱根駅伝出場の夢を叶え、晴れてプロのマンガ家への道を歩きだすわけですね。
大学4年生になって就職活動を始める替わりに初めて本格的にマンガを描き始めました。当時はまだマンガ専用原稿用紙などは売ってなかったので、文房具屋でケント紙を買ってきて四隅に穴を開けて枠線を引くという、石ノ森章太郎先生の『漫画家入門』に描いてあるやり方で始めて(笑)。大学卒業してすぐに初めて小学館の「スピリッツ」編集部に初めて持ち込んだときは、15分くらいで「いいのができたらまたもってきてね」という感じで。数か月後、再挑戦で持ち込んだ作品では1時間くらいダメ出しされたのですが、前は15分だから大きな進歩だと思い、一週間ほどで『好きになるひと』という作品に改稿して再チャレンジしたら新人賞で奨励賞をいただいてマンガ家デビューすることができました。
――連載デビュー作の『いいひと。』は陸上にも関わりのあるスポーツメーカーに勤める主人公の物語でした。
初めての連載なので、自分の武器を全部出していかないと勝てないなと。陸上そのものがテーマではないですけど、外側から選手をサポートする話もあって、今でも箱根駅伝編が好きだという読者さんがいるので描いて良かったなと思いますね。実はデビューが決まる直前に原因不明の病気で倒れてしまい、半年以上ほとんど動けない状態で生活していたんです。それまでずっとマンガ家になるために突っ走ってきて、連載までこぎつけてさらに走り続けようと思っていたので、精神、肉体ともに限界だったのかもしれません。強制的に休むことになって、物を考えたり、振り返ったりする時間ができたおかげで、『いいひと。』の主人公が、がむしゃらに突っ走るだけでなく振り返って大事なものを見つけられるキャラクターになってくれたので、そういう意味では病気をして幸運だったと言えるかもしれません。
――その後、『最終兵器彼女』(小学館「ビッグコミックスピリッツ」掲載)『きみのカケラ』(小学館「週刊少年サンデー」掲載)『雪にツバサ』(講談社「週刊ヤングマガジン」掲載)など数々の作品を、青年誌、少年誌、少女誌と幅広いフィールドで発表されてきました。先日完結したばかりの『花と奥たん』は不定期連載で、かなり間が空いてから復活しましたね。
歴代の担当編集さんが、ちゃんと完結させようと思ってくださっていたおかげで。もともとは終わりをあまり考えずに、「世界が破滅しかけているシチュエーションの中で、ごはんを作って日常を生きていく」というテーマで描ける時に描いていくイメージで始めた作品なんです。連載開始当初は、コロッケとか日常的なものを奥たんが美味しく作る感じを考えていたんですけれど、なぜか第1話から「タラのワイン蒸しミニトマトソース」みたいに全然違うものになってしまったので、変わった感じの料理を作る様になってしまいました(笑)。
『花と奥たん』単行本第3集表紙イラスト(2019)
©高橋しん/小学館
――『花と奥たん』は雑誌掲載時のカラーページで描かれる料理が魅力的ですが、7月から3カ月連続刊行予定の単行本ではこれまでにない工夫をされたとか。
紙の単行本だとコスト的に全てのカラーページを入れることが難しい時代になったので、それならば思い切ってモノクロで価格を抑えた紙版と、カラー入りの電子版で2種類の単行本を作ろうと考えたんです。表紙も電子版はこれまでの単行本の流れをくむもの、紙版はすこし雰囲気が違うものにしてみました。電子書籍が普及する以前だとこういう工夫もできませんでしたが、読者さんのあり方もだんだん変わってきているので、マンガ家としてそういう流れの中に飛び込んでいって、チャンスがあればやれるだけのことはやっていきたいなと考えています。
――マンガ家デビュー30周年を迎える来年に向けて、これからのお仕事について教えてください。
まずは「メロディ」(白泉社)で始まった『髪を切りに来ました。』の隔月連載を頑張っています。準備中の新作は『かなたかける』の直接的な続編ではありませんが、大学駅伝男子の物語になる予定です。今は昔より箱根駅伝の知名度も高いので、甲子園を目指す野球マンガのように、箱根出場に挑戦し続ける人達も描けるんじゃないかと思っているところです。
――最後に、高橋しんさんにとってペンタブレットとはどのような存在ですか?
「いつでも安心して使える画材」ですね。アナログの画材だと、ペン先の品質やインクの残量みたいに、これから描こうとする時に物理的にスムーズにいかない要因が色々あったんですけれど、ペンタブレットとPCの組み合わせなら色も無限に使えますし、常にコンディションが保たれているので、ノリを阻害する要因が限りなくゼロに近いんです。その安心感は商業漫画を描き続ける人間にとっては大きいですね。
取材日:2019年7月3日
インタビュー・構成:平岩真輔(Digitalpaint.jp)
画像をクリックすると今回制作した作品をご覧いただけます。
高橋しん
マンガ家。北海道士別市出身。山梨学院大学1年生の時に最終10区の走者として第67回箱根駅伝に出場。1990年、『好きになるひと』で第11回スピリッツ賞奨励賞を受賞し、同年マンガ家デビューを果たす。初の連載作品となる『いいひと。』(1993年)が人気を集め、続く『最終兵器彼女』(1999年)はテレビアニメ化、OVA化もされ海外でも高く評価される大ヒット作品となる。『きみのカケラ』(週刊少年サンデー)、『雪にツバサ』(週刊ヤングマガジン)、『あの商店街の、本屋の、小さな奥さんのお話。』(メロディ)等、少年誌・青年誌・少女誌と幅広く活躍し、2016年には自身の駅伝ランナーとしての経験を活かした本格陸上マンガ『かなたかける』を手掛ける。現在「メロディ」(白泉社)で『髪を切りに来ました。』を連載中。この春に完結を迎えた不定期連載『花と奥たん』の単行本第3集が小学館より7月30日発売、最終5巻まで異例の三カ月連続刊行される予定。